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岡田武史が日本を救った

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 20:22:41 ID:I/Ry8U560
あまり楽観できなかったのが「大人の代表」だ。
フランスW杯最終予選がスタートしたのは9月7日。
日本はまずウズベキスタンに勝利。次いでUAEとドロー。
ここまでは悪くなかった。
しかし韓国代表にホームで痛い逆転負けを喰らって事態は急転。
10月4日にカザフスタンと引き分け、加茂周監督は更迭されることになる。

私は国立に通ってました。
ウズベキスタン戦が開始する直前のキラキラ舞う紙吹雪。
カズと城彰二が跪いてボールに手を置いて祈る姿。
日韓戦では山口素弘のループが吸い込まれる弾道。
その直後に曇り始めて、李敏成の強引なシュートが…。
そういう情景は俺の原風景である。

10月11日のウズベキスタン戦は終了間際に追いついてドロー。
私はこの劇的な試合を見てない。
家族がマレーシアに旅行するというので付いて行ってしまった。
親が「向こうのホテルは日本の衛星放送が映る」と断言するから信じてしまった。
しかしクアラルンプールの日航ホテルはBSが映らない!
祖母の家に何度も電話を掛けて経過を伝えてもらった。
後半の45分頃からは2分おきくらいに電話を掛けたな。
「同点に追いついたの!」とはしゃぐ祖母の声をよく覚えている。

わずかに希望を取り戻した日本代表。
しかし10月26日の国立。UAE戦で痛恨の引き分けを喫してしまう。
我ながら憤激した。駅まで歩きながらペットボトルをぶちまけて叩きつけたな。
「暴動」が起きたと聞いて残ればよかったと後悔したのは秘密だ(苦笑)
このタイミングで韓国は悠々と1位抜け。W杯出場決定。
日本はB組3位に落ち、プレーオフ進出が「絶望」と報じられた。

選手に落ち込んでいる暇は無かった。翌週はアウェーの韓国戦。
私も既に航空券とチケットを抑えてしまっていた。
「海外旅行」のつもりで韓国へ旅立ったのが10月30日のことだった。
ソウルは楽しかったです。焼肉食べて、街を歩いて…。
蚕室競技場のピッチサイドで韓国代表の前日練習を見たな。
ベン・ジョンソンが9秒79で走ったトラックの上!
その場の数少ない日本人として偉そうに韓国メディアから取材を受けたり。
山本浩、松木安太郎を両脇に従えて記念撮影したり。
やりたい放題だったな(笑)

11月1日。開き直った日本代表は韓国に2−0で勝利。
翌日、光化門の安宿から銭湯に向かう途中。
床屋のテレビにサッカーが映っている。
ニュースでUAE×ウズベキスタン戦の結果が流れている。
点の入っている様子がない。0−0?引き分け?
床屋の主人に向かって「ドロー?」と叫ぶ。
親父は黙ってうなづき「セーフ」のポーズをとった。
人生で何番目かに嬉しかった瞬間だ。

11月9日。日本はカザフスタンに快勝してプレーオフ進出を決めた。
プレーオフは16日、マレーシアのジョホールバルにて開催と決した。
まさか1ヶ月でマレーシアに舞い戻るとは思わなかった(笑)
何しろ時間がない。バイト先から旅行会社へ電話を掛けまくった。
JTトラベルという会社のツアーが取れた。
かなりバタバタしたが、無事に東南アジアへ旅立った。


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 20:23:12 ID:I/Ry8U560
イラン戦については試合を語る必要も無いな。
おそらく皆さんの方がよく覚えている。
私は靄の掛かった記憶しかない。緊張して感覚が麻痺していた。
あれ以来、試合を見て取り乱すということが無くなった。
極限状態に対する「免疫」ができたんだ。
ウズベキスタン戦からイラン戦まで約70日。
平凡に生きていればあっという間に過ぎていく時間だ。
しかし代表と喜怒哀楽を共有することで、濃密な秋になった。
自分を「サッカーファン」から「サッカー狂」に変えた日々でもある。

実は「岡田武史がこの国を救った」という持論を持っている。
彼はサッカーの日本代表を助けただけじゃない。国の危機を救った。
この秋に「ピンチ」を迎えていたのは日本サッカーだけじゃない。
日本経済、国民生活にとって最悪と言い得る時期だった。
11月3日に三洋証券が倒産。
11月14日に北海道拓殖銀行が破綻。
11月24日に山一證券が自主廃業。
都銀、四大証券の経営破綻という未曾有の事態が起きていた。
金融機関の資金繰り悪化による連鎖反応だった。

軽部謙介、西野智彦の共著『検証経済失政』にこういう描写がある。
> 同じ十六日、日曜日。静まり返った大蔵省の四階では、
> 拓銀破綻処理に向けた準備が大詰めを迎えていた。(中略)
> 金曜、土曜と徹夜が続き、すべての作業が終了したのは十七日午前零時過ぎだった。
> テレビではサッカーのワールドカップ・アジア最終地区予選が流れていた。
> 日本チームが劇的なゴールで本大会出場を決めた瞬間を、
> 担当者らは極度の疲労感の中で眺めていたことを覚えている。

日本にとって本物のピンチだった。
国民がパニックになって取り付け騒ぎでも起こしていれば、
お金という「血液」が止まり、産業の機能停止が起きていただろう。
しかし我々は意外にクールだった…。
代表チームの粘りが「ピンチは克服できる」という安心感を与えたんだと思う。

翌98年、国会は一連の金融再生関連法案をまとめた。
自民党が民主党案を大筋で受け入れるという異例の決着だった。
公的資金投入、一時国有化といった策で日本経済は息を吹き返した。
国会が国会らしく機能したという憲政史上の稀有な例でないかな?
与野党の決断、妥協は国を救ったと思う。
もっとも小沢一郎は今でも当時の民主党を批判している。
「国会を空転させて追い込めば自民党は崩壊していた」と…。
多分その通りだと思う。でも国民の生活も崩壊していたんじゃないかな?

軽部・西野両氏の「検証三部作」はバブル崩壊を知る上で必読の名著だ。
これを読んだのは5,6年前だが、読後感は実にほろ苦かった。
大蔵省や金融機関の担当者が右往左往している時に、
俺はずいぶんお気楽だったもんだな…と(苦笑)
ただし国民がそういう心理だから「悲観」が避けられたんだと思う。
金融機関の破綻という最悪のニュースがサッカーで覆い隠された。
担当者は大衆のノイズを受けず、粛々と作業を進められた。
つまりサッカーが、日本代表が、国を救ったのだと…。

しかしまぁ濃密な秋でしたね。


3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 20:23:54 ID:I/Ry8U560
ttp://blog.livedoor.jp/augustoparty/archives/50925044.html?1191637545

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 20:25:16 ID:I/Ry8U560
あれから10年。まさか忘れてないですよね?
1997年10月4日…。
日本代表がカザフスタン代表と引き分けた日。
加茂周監督が解任された日である。

私は今でこそ偉そうにサッカーを語っているが、大して息の長いファンでない。
興味を持ち始めたのはJリーグ開幕前夜という時期になってから。
92年のアジア杯をテレビで見たのが入れ込んだ最初のきっかけである。
ちょうど愛する西武ライオンズが衰退。
それと入れ違うようにサッカーは心の隙間を埋めた。
16才の少年は素直にJリーグブームで浮かれた。

党首の人生が「暗転」したのは1997年だ。
この年からです。人生を台無しにするほどサッカーへ入れ込み始めたのは…。
大学2年の私は割のいいアルバイトと巡り合う。
スポーツと関わる仕事で収入も良かった。
月に十何万円というお金が入るようになり、色々と動けるようになった。
それまで生でサッカーを見るという習慣がなかった。
J開幕直後はチケットの入手が難しかったという事情もある。
しかし春に大学の「観戦サークル」へ出入りするようになり、仲間ができた。
日本サッカー後援会の存在を聞き、すぐ入会手続きをした。
私は20才を過ぎてようやくスタジアム・デビューを果たした。

夏休みは全国へユース観戦行脚。
後に「黄金時代」と呼ばれる世代が高校の最終学年を迎えていた。
Jビレッジは7月に完成したばかり。
クラ選で曽ヶ端準、大黒将志、二川孝広、野沢拓也らの雄姿を見た。
静岡のSBS杯では小野伸二、高原直泰、市川大祐らが躍動していた。
高校総体、高円宮杯は本山雅志、古賀誠史を擁する東福岡高校が制覇。
冬の選手権も制して三冠を達成した。
全中サッカーは佐野裕哉率いる東海大一中が圧勝。
そんな逸材を目にして「日本サッカーの未来は明るい」という期待を得た。


5 : :2007/12/03(月) 21:25:08 ID:/OJS3zID0
就職氷河期だったw

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